2026 年9 月10 日
2026 年9 月9 日
PCのKBカバーと足は必要か
ずいぶん昔に買ったPCからそうだったけれど、キーボードの隙間から護美が入って、上手く動かなくなって、往生した経験が有るので、必ずキーボードカバーを必須としていたし、何回も練習したけれど「タッチタイピング」は残念ながらいまだに出来ず、感覚的に「どのへん」という物を頼りにしたタイピングだから、廉価なキーボードカバーを必須としている。 最近まではキッチンで使う「サランラップ」を被せて乗り切って来たのだが、最初は良いのだが、どうしても指先でキートップのところが鮮明で無くなるのと同時に老眼とか近眼時の症状なのだろうが、蛍光灯の反射で一層見えにくくなってきていたので、思い切って1台を除いて、全て剥がして使っている。 そのためと健康麻雀でも気を使っているのだが、指先の爪は爪切り後やすりをかけて滑らかにしてKB自体に傷つけないように気を付けている。 今のところ、KBの掃除は小まめにしてこれで満足している。2026 年9 月8 日
エンディングノート
矢張りそろそろエンディングノートという物を「知っておく」と言う意味でNHKの番組を見始めた。 でも、今の現状から見ると、果たしてこの土地・家を引き取ってくれるだろうか。 現在同居している長女家族も、旦那が定年を迎えると、実家の家でも田んぼ自体は「お任せ」にしているというけれど、妹さんも結婚する気が無いと言っているらしいから、両方で持つというのも大変になってくるのではないだろうか。 別居中の長男も、何時まで務めているか分からないが、リタイアした時点でこの家に入るというのも難しいかもしれない。 残る金融資産は心配するほど無いから、兄弟喧嘩になることは考えられないから、それが一番寝悩みである。 勝手なことを言わせてもらうなら、娘の旦那家族も長男家族も狭くは無い土地だから、立て直して同居してくれると嬉しいのだが。2026 年9 月7 日
読書感想文
今回読了したのは「何でも第一号!(びっくりデータ情報部 偏 青春出版社 刊)である。 これも多分父の蔵書だったろうと思う。 昨年の11月20日から一日一事と言う事で読み始めて、8月3日に読了したものである。 感想は「良くもまぁこれだけのデータを集めた物だ」と言うところである。 項目数は数えていないが、「ほんのちょっとした時の話題」と言う意味では、暇に任せて目を通すと、意外な「通」として知られることになるのではないか。 例によって目次の紹介にしておこう。 1.常識なんて通用しない アッと驚く型破りな第一号 2.勇気ある奴がいたもんだ ちょっと危ない第一号 3.燃え上って挑戦した 恋愛世界の取って置き第一号 4.こんな筈じゃ無かった 思わぬ大誤算の第一号 5.意表を突いたアイデアで 夢を叶えた第一号 6.こんな事情があったのか 誕生に問題ありの第一号 7.ひょんな事から出来ちゃった めっけもの第一号 8.なんとあの人が元祖だつた 嘘の様なほんとの第一号 そんな中から一つだけ エッ、最初のカーセックスの第一号は誰だった 伊藤博文 その人だった2026 年9 月4 日
後輩が立候補しなかった
今年も市会議員の選挙の時節が来て、早々と投票券が送られてきた。 私の中学の少し後輩になり、HAMを遣りたいと言いクラブに入って来た人間が、何期務めたかはよく覚えていないが、議長職にも何度かなり、知人が「立ち会ってくれ」と言いに来た時がそうだったので、快く久しぶりに会って話したのも、もう辞めて直ぐくらいだったから、20年以上前になる。 今回も出るのかと思っていたら、広報が来る前に「無投票になりました」と言う事で彼の名前が載っていなかった。 長い間お疲れさまでしたとメールを出しておいたが、返事は来ていない。 この辺が少しやはりおかしいと、後に逢ったら言っておいてやろう。 もっとも、わが町で、福岡県議会のようなことはあったとは思えないから、その点だけは大丈夫だろう。2026 年9 月3 日
テレビにPCを接続してみた
古くなってチューナー部分が駄目になっていたので、お蔵入りにしてあったTVをノートパソコンの文字もそろそろ小さく感じることになって、万が一と思ってひっはり出してきて、HDMI接続が出来たので、繋いでみました。 色々と調節が必要でしたが、どうにか映りました。 まだ、本格的に使おうという事では無く「使える」と言うか「大画面で見ることができる」という事なので、デスク周りを片付けて置けるようになれば使ってみたいと思っています。2026 年9 月2 日
読書感想文
休み前から続けていた読書で、今回の最初は「常識のウソ」(石垣純二 著 文藝春秋社 刊)です。 著者に言わせると、貝原益軒先生は「ぼろくそ」と言う見方ですが、このような本に対する私の見方は常にそうですが、「すべてが相じゃないだろうに」と思いながら読む癖になっています。 でも、時々自分に取って都合の良い事については「わが意を得たり」と言う思いがすることも有ります。 長い間このブログをお読みいただいている方の頭の隅に残っているかも知れない事の一つに「接して漏らさずはナンセンス」と言う下りを初めてして「老人のセックスはほどほどに」と言う論理の打破です。 60歳を過ぎたら「打ち止め」と言われるとそれから約20年ほど経過しているわが身にとって「罪悪感」しか生まれません。 必ず、常に相手がいるとは申しませんが、その時には「五人組」の助けを借りても・・・。2026 年9 月1 日